佐賀地方裁判所 昭和43年(ワ)314号 判決 1971年2月12日
原告
一ノ瀬サミ
ほか六名
被告
稲富廣行
ほか一名
主文
被告らは各自、原告一ノ瀬サミに対し金二〇〇、〇〇〇円、原告平野静義に対し金三〇八、五二二円、同功、同妙子、同美枝子、同静代、同昌子に対しそれぞれ金三三一、四〇九円、および右各金員に対し、被告稲富廣行は昭和四三年九月二六日から、被告久富馨は同月二七日からそれぞれ支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用はこれを五分しその四を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。
この判決は第一項に限り仮りに執行することができる。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告ら
被告らは各自、原告一ノ瀬サミに対し金三〇〇、〇〇〇円、原告平野静義に対し金四、三〇一、六〇九円、同功、同妙子、同美枝子、同静代、同昌子に対しそれぞれ金一、四一一、八六六円、および右各金員に対し被告稲富廣行は昭和四三年九月二六日から、被告久富馨は同月二七日からそれぞれ支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言。
二、被告ら
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決。
第二、原告らの請求原因
一、事故の発生
昭和四三年三月二九日午後八時一五分ころ、被告稲富は自動二輪車武雄市六三〇号(以下単に被告車という)を運転して佐賀県鹿島市大字中村一、六八八番地先県道を、鹿島市乙丸方面から藤津郡塩田町方面に向けて進行中、道路を横断歩行中の訴外平野利子と衝突し、よつて翌三〇日午前三時三〇分ころ同人を死亡させるに至つた。
二、被告稲富の責任
右事故は平野利子が、右同所付近で稼働先のマイクロバスから同僚らと下車し、先行の二名にやや遅れて右道路を横断する際の出来事であり、被告稲富はその進路上に前記二名の横断者を認めたのであるから他にも横断者のあることは充分予想できたにも拘らず前方注視不十分のまま時速約六〇キロで漫然進行したため、折から被告車前方を道路右側から左側に向つて横断歩行していた平野利子を至近距離に接近してはじめて気づき、ブレーキをかけたが間に合わず被告車の前部を同人に衝突させるに至つたものである。よつて被告稲富は、その過失により発生させた右事故による後記損害を賠償しなければならない。
三、被告久富の責任
被告稲富は、建築請負業を営み被告久富方に住込みで大工見習のため弟子入していたのであるが、本件事故当日は被告久富が慰安のため弟子一同を伴い有明海に潮干狩に赴いたところ、自己所有の被告車でこれに参加した被告稲富がその帰途本件事故を怠起したものであつて、被告久富は被告稲富が被告車を使用運行するについて指示・制禦をなし得る関係にあつたものといえる。従つて被告久富は被告車を自己のため運行の用に供する者にあたり自動車損害賠償保障法第三条により損害を賠償しなければならない。仮りに同被告が被告車の運行供用者にあたるとは認められないとしても、前記潮干狩が、被告久富の主たる業務ではないがこれに密接に関連する業務であることからすれば、被告稲富の被告車の運行は客観的外形的にみれば、被告久富の業務の執行の範囲内の行為と認められる。従つて被告久富は民法第七一五条により賠償の責に任ずべきである。
四、損害
(一) 亡平野利子の得べかりし利益の喪失による損害及び慰藉料
平野利子は事故当時四六年の農家の健康な主婦であつたから、平均余命(三〇・四四年)の範囲内で向後少くとも一七年は農業に就労可能であつたところ、同人は事故当時左記収益を得ていた。
(1) 米・麦・牛乳・みかんの生産その他による所得 六七六、〇〇〇円
(2) 年間生活費 一五一、二〇〇円
(3) 年間純収益 五二四、八〇〇円
よつてその一七年間の総額が一七年の後に得られるものとして、ホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除して事故当時の現価を求めると、六、三三八、九九八円となるところ、平野利子は死亡によつて右の得べかりし利益を喪失した。
また本件事故により生命を奪われた平野利子の慰藉料は諸般の事情を考慮すると、少くとも五〇〇、〇〇〇円を下らない。
従つて平野利子は合計六、八三八、九九八円の損害賠償請求権を有する。
ところで原告静義は平野利子の配偶者、原告功、同妙子、同美枝子、同静代、同昌子はいずれも子であるから、その相続分に応じ原告静義は右損害賠償請求権の三分の一にあたる二、二七九、六六六円、原告功、同妙子、同美枝子、同静代、同昌子はそれぞれ同じく一五分の二にあたる九一一、八六六円を相続したものである。
(二) 原告静義の積極損害
原告静義は利子の死亡により左記の金員を支出し同額の損失を受けた。
(1) 葬儀費用 一七五、一四三円
(2) 法事費用等 四六、八〇〇円
(3) 墓碑建設費 三〇〇、〇〇〇円
計 五二一、九四三円
(三) 慰藉料
平野利子の肉親らが同人に寄せた愛情を思うとき、その不慮の死に因り豪つた精神的打撃も深く且つ大であるので、慰藉料として実母原告サミは三〇万円、配偶者たる原告静義は一五〇万円、子らである原告功、同妙子、同美枝子、同静代、同昌子はそれぞれ五〇万円の支払を受けるのを相当とする。
五、よつて原告らは、被告らに対し各自、原告静義については前項(一)ないし(三)の計四、三〇一、六〇九円、原告功、同妙子、同美枝子、同静代、同昌子についてはそれぞれ(一)および(三)の計一、四一一、八六六円、原告サミについては(三)の三〇万円、および右各金員に対する、被告稲富に対しては同被告に対する訴状送達の翌日である昭和四三年九月二六日から、被告久富に対しては同じく同月二七日からいずれも支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三、被告らの答弁
一、請求原因第一項の事実は認める。
二、同第二項の事実は否認する。
本件事故は被告稲富が、被告車を時速約四五キロで運転進行中本件衝突現場付近にさしかかつた際、約七〇メートル前方右側に対向車の前照灯を発見したので被告車の前照灯を減光し、ついで三〇メートル前方道路上を右から左へ横断する二、三人の人影を認めたので時速約三〇キロに減速して進行し対向車と離合した直後、被害者平野利子が対向車の背後から、右左の安全を確認することなくいきなり走りながら横断した過失により惹起されたものである。
三、同第三項中、被告久富が建築請負業を営んでいること、被告稲富が被告久富方に大工見習として弟子入して建築業に従事していること、本件事故当日被告久富が弟子とともに有明海に潮干狩に行つたこと、その潮干狩に被告稲富が自己所有の被告車を使用しておもむきその帰途本件事故が発生したことは認めるが、その余は争う。
被告久富は、建築現場への往復や器材の運搬等業務上必要な場合は自己所有の自動車を利用すれば足りたので、被告稲富に対し被告車を業務上使用するように命じたことも依頼したこともなく、同被告が被告車を建築現場への通勤のため使用しても燃料代や修理代等を負担することもなく、また他の大工見習と比較して手当等の面で優遇したこともなかつた。被告稲富は被告車を自己の私用による外出の便宜のために利用していたものである。従つて被告久富は被告車を自己のため運行の用に供していたとはいえない。
被告久富は本件事故当日午前中で仕事を打切り、午後は休業して潮干狩に行つたものであり、被告稲富を含む大工見習らは潮干狩への参加、不参加は自由であつた。従つて被告稲富の被告車の運行は、被告久富の業務の執行中生じたものではない。
四、同第四項は争う。
第四、被告らの抗弁
一、平野利子は、夜間交通ひんぱんな道路を横断するに際し、車両の前照灯により交通の安全を容易に確認できる状況にありながら、全く左右の安全を確認することなく、いきなり車両のかげから走りながら横断したものである。
従つてかかる被害者の重大な過失を損害額の算定に当つてしんしやくすべきである。
二、被告稲富は、原告静義に対し昭和四三年一二月三〇日慰藉料として三〇万円、同年三月三一日葬儀費用として一〇万円を各支払つた。
三、原告静義、同功、同妙子、同美枝子、同静代、同昌子は、昭和四三年七月三〇日、訴外武雄市農業協同組合から本件事故にもとづく損害賠償として自動車損害賠償責任共済保険金二九五万円を受領した。右金員を各自の相続分にしたがつて分配すれば、原告静義は九八三、三三三円、原告功、同妙子、同美枝子、同静代、同昌子は各三九三、三三三円を取得したことになる。
第五、右に対する原告らの答弁
一、抗弁第一項の事実は否認する。
二、同第二、第三項の事実は認める。
第六、証拠〔略〕
理由
一、請求原因第一項の事実(事故の発生と平野利子の死亡)は当事者間に争いがない。
二、被告稲富の過失
〔証拠略〕を総合すると、
(1) 本件事故現場は、鹿島市大字中村一、六八八の川崎義一方前庭の南にあたる県道上で、右現場付近における県道は幅員約五・五メートルのほぼ東西に直線の平たんなコンクリート舗装の道路で見通しはいいが付近には横断歩道はなく当時は曇天で暗夜であり、路面は乾燥していたこと、
(2) 平野利子は当時右川崎義一方前で、東行する稼働先の中島建設のマイクロバスから同僚五名とともに降車し、直ちに発車した右マイクロバスの後部が右六名の前を通り過ぎてから、まず二名が県道を直角に横断したこと、そのあと間もなく平野利子が県道を直角に横断し始めたこと、その際同人は左側(東方)から進行してくる車両の有無を十分確認しなかつたため、被告稲富運転の被告車が西進してくるのに気付かなかつたこと、
(3) 被告稲富はそのころ前記県道上を被告車の後部に同僚を乗せ西進中であつて、右マイクロバスと離合するにつき、前照灯を減光しただけで時速約四〇キロメートルのまま進行したが、進路前方を右から左に横断する前記二名を認めたので時速約三〇キロメートルに減速し、同人らがその横断をした後再び速度を時速四〇キロメートルにもどして進行し、至近距離に接近して初めて横断中の平野利子に気づき、急停車の措置をとつたが間にあわず、同人と被告車の前部付近とが衝突したこと、
が認められ、〔証拠略〕中右認定に反する部分は信用せず、ほかに右認定を覆すに足る証拠はない。
ところで右平野利子の道路横断の方法が適切なものであつたかはともかく、少なくとも被告稲富について考えると、自動車を運転するものは絶えず前方及びその左右を注視し、道路前方の車両は勿論、歩行者の動静を早期に発見し、これに応じた適宜の措置をとるべきであるのに、前期二名の横断者を発見して若干減速はしたけれども、他に横断者はないものと軽信して前記注視義務を怠り、右二名の者が横断を終えるや直ちに速度をもとに戻して漫然進行し、利子の横断を直近に迫るまで気付かなかつた過失があり、これが本件事故の一因をなしたことは否定できないところであつて、同被告が民法第七〇九条による損害賠償責任を負担すべきことは明らかである。
三、被告久富の責任
被告久富が建築請負業を営んでいること、被告稲富が被告久富方に大工見習として弟子入して建築業に従事していること、本件事故当日被告久富が弟子とともに有明海に潮干狩に行つたこと、その潮干狩に被告稲富が自己所有の被告車を使用しておもむきその帰途本件事故が発生したことは当事者間に争いがなく、さらに〔証拠略〕を総合すると、
(1) 被告稲富は、被告久富方に昭和四一年一一月ごろから住込み、仕事着、大工道具、食事を支給され毎月数千円の小遺銭をもらつて大工見習に従事していたこと、本件事故当事は被告稲富の他には二名の大工見習が被告久富方に住込んでいたこと、
(2) 被告久富は軽四輪貨物自動車を所有し、建築現場への往復や器材の運搬等業務上必要な場合はそれを利用していたので、被告稲富が建築現場への往復など業務のために被告車を利用する必要は全くなく、被告久富は被告稲富が被告車を自宅に持込むのを断つたほどであつたが、被告稲富は雨降りなどの時以外はもつぱら被告車を利用して建築現場へ往復していたし、その他私用で外出する時などに被告車を使用していたことと、他の大工見習のうち一名はやはり自動二輪車を所有し、近くの建築現場へはそれを利用して往復していたが遠くの現場へは被告久富所有の軽四輪車でおもむいていたこと、
(3) 本件事故当時、被告久富は鹿島市の訴外宮崎利行の建物の新築を請負い、事故当日前一〇日間ぐらいから、右建築現場で被告稲富らとともに右作業に従事していたが、その際被告稲富は毎日被告車で右建築現場を往復していたこと、本件事故当日は午前中で右作業を一応取り止め、訴外宮崎の勧めにより同人が舟を出して有明海に潮干狩に行くことになり、被告久富ら右作業に従事していた者は全員それに参加したこと、午後七時三〇分ごろ全員訴外宮崎方へ帰り、夕飯をごちそうになつて午後八時ごろ被告久富は前記軽四輪貨物自動車にとつた貝をつみこみ、被告稲富は被告車のうしろに同僚を乗せ、他の一人の大工見習は自己所有の自動二輪車を運転し、訴外宮崎方を辞して思い思いに被告久富方へ帰宅の途についたこと、
を認めることができ右認定を覆すに足りる証拠はない。
以上の事実によれば、被告稲富は従来から被告久富宅と建築現場の往復に被告車を使用し、被告久富はこれを黙認していたところ、本件事故を惹起するに至つた被告稲富の運転行為は、被告稲富のもとで大工見習をしている者が全員参加した慰安会ともいうべき潮干狩の帰途なされたもので、客観的外形的にみれば被告稲富の業務そのものではないがこれと密接に関連する行事中の行為として被告久富の事業の執行の範囲に属するものと認めるのが相当である。従つて被告久富は民法七一五条により後記損害を賠償しなければならない。
四、損害
(一) 平野利子の得べかりし利益の喪失
〔証拠略〕によれば、平野利子は大正一〇年八月二八日生(本件事故当時四六才)の健康の女子であり、それまで農業に従事し、引続き農業を継続するつもりであつたことが認められ、昭和四〇年簡易生命表によれば、同年齢の女子平均余命年数は三〇・四四年であることは当裁判所に顕著であるから、以上を総合すると利子は本件事故にあわなければ満六三才まであと一七年間従前同様に稼働できたものと推定される。
ところで利子の収入を考察するに、〔証拠略〕によれば、同原告は田一町三反、畑三畝、みかん園四反、乳牛五頭を所有する農家であり、利子は昭和一七年一〇月二七日原告静義と結婚して以来農業に従事したが、一男四女を育て一切の家事をあずかると共に、同原告の片腕として自家の農業経営にあたつていたことが認められる。
右事実によれば、利子の収入の算定にあたつては、原告らの家での農業による全収入の少なくとも三分の一は利子の労働による収入として計算することが妥当と考えられる。
〔証拠略〕によれば昭和四二年度の同原告家の米・麦・牛乳の販売による粗収益はそれぞれ七五一、四五九円、三二、〇〇〇円、四六四、四六一円で合計一、二四七、九二〇円であり、昭和四三年度も同程度の粗収益があがるものと認められる。そして〔証拠略〕によれば、佐賀県地方の昭和四二、四三年度の経営規模一・〇~一・五ヘクタールの農家の農業所得率(農業粗収益から農業経営費を控除した金額に対する農業粗収益の割合)はほぼ六割と認められ前記のとおり利子の寄与した部分は三分の一とみるを相当とするから同人の米・麦・牛乳の生産に従事したことによる所得は二四九、五八四円となり、また〔証拠略〕によれば、昭和四〇年度の佐賀県地方の一〇アール当りのみかん生産による純収益は一〇万円を下らないものと認められ、前認定のとおり同原告家のみかん園は四〇アールであるから、同年度の原告家のみかん生産による純収益は四〇万円を下らず昭和四三年度も同程度の純収益があがるものと推認され、前記のとおり利子の寄与した部分は三分の一とみるを相当とするから、同人のみかん生産に従事したことによる所得は一三三、三三三円となり、結局同人の農業による所得は合計三八二、九一七円ということになる。
また〔証拠略〕によれば、利子は農閑期には建設業の人夫として働きに出ており、稼働日数は少くとも年間平均一四〇日であり、人夫賃は一日七八〇円をくだらないこと、従つてそれによる収入は一〇九、二〇〇円をくだらないことが認められる。従つて利子の総収益は四九二、一一七円となり、〔証拠略〕によれば、昭和四三年度佐賀県地方の経営規模一・〇~一・五ヘクタールの世帯員一人当りの年間家計費は一六二、四〇〇円であることが認められ、利子の生活費も同様と推定されるから前記収入から右生活費を控除して得られる三二九、七一七円が年間純益額というべきである。
よつて平野利子は本件事故によつて右年間純収益を以後前認定の推定稼働年数である一七年間にわたつて失つたものというべく、これから年毎ホフマン式計算方法(複式)により年五分の割合による中間利息を控除して本件事故発生時における一時払額を求めると、三、九八一、九五九円(円未満四捨五入)となる。
(二) 利子の慰藉料
前認定のように利子は四六才の健康な女子であり、かかる不慮の事故によつて、その生命を失うに至つたことその他諸般の事情を考え合わせ、その慰藉料は五〇〇、〇〇〇円を下らないものというのを相当とする。
(三) 〔証拠略〕をも併せ考えると原告静義は利子の葬儀費用として少なくとも一〇〇、〇〇〇円、法事費用として少なくとも三〇、〇〇〇円を支出したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠がない。
しかしながら同原告が墓碑を建設したことを認めるに足りる証拠は見当らない。
(四) 原告らの慰藉料
〔証拠略〕によれば、原告静義にとつて利子はその片腕としての地位を持つていたのであり、原告功、同妙子、同美枝子、同静代、同昌子にとつてはかけがえのない母であり、原告サミにとつてはいとしい娘であつて、いずれも利子の死亡により多大の精神的苦痛を受けたことが認められ、諸般の事情をも斟酌するとその慰藉料は原告静義は五〇〇、〇〇〇円原告功、同妙子、同美枝子、同静代、同昌子は各三〇〇、〇〇〇円、原告サミは二〇〇、〇〇〇円を相当と認める。
五、過失相殺
前第二項認定事実によれば、利子にも見通しのよい道路を横断するのに、その交通の状況を推認しないままいきなり横断を始めた過失がありそれが本件事故の一因となつていることが認められるので、右過失を損害額の算定に当つて考慮すると被告らが賠償すべき額は、前記(一)の利子の得べかりし利益の喪失の損害について三、一八五、五六五円とするを相当と認める。
六、〔証拠略〕によれば、原告らが利子とその主張する身分関係にあることが認められるので原告らは利子の右損害賠償請求権をそれぞれその相続分に応じて相続により取得したというべく、結局原告らの賠償請求権は、
(一) 原告静義
相続分(夫として三分の一)一、〇六一、八五五円
葬儀費用等 一三〇、〇〇〇円
固有分 五〇〇、〇〇〇円
計 一、六九一、八五五円
(二) 原告功、妙子、美枝子、静代、昌子(各)
相続分(子として一五分の二) 四二四、七四二円
固有分 三〇〇、〇〇〇円
計 七二四、七四二円
(三) 原告サミ
固有分 二〇〇、〇〇〇円
となるが(相続分については円未満切捨)、被告稲富が原告静義に対して昭和四三年一二月三〇日慰藉料として三〇万円、同年三月三一日葬義費用として一〇万円を各支払つたこと、同年七月三〇日自動車損害賠償責任保険金として原告静義が九八三、三三三円、原告功、同妙子、同美枝子、同静代、同昌子が三九三、三三三円を各受領したことはいずれも当事者間に争いなく、これらを差し引くと残額は、原告静義が三〇八、五二二円、原告功、同妙子、同美枝子、同静代、同昌子については各三三一、四〇九円となる。
七、したがつて原告らの本訴請求は被告らに対して、各自原告サミは二〇〇、〇〇〇円、原告静義は三〇八、五二二円、原告功、妙子、美枝子、静代、昌子は各三三一、四〇九円、および右各金員に対して、被告稲富に対する訴状送達の日の後であることの本件記録上明らかな昭和四三年九月二六日から、原告久富に対する訴状送達の日の後であることの本件記録上明らかな同月二七日からそれぞれ支払いずみにいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却する。よつて訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条、第九三条一項を、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 諸江田鶴雄 松信尚章 大浜恵弘)